IMMIGRANT SONG

こんばんは。心の旅から帰ってきました。
旅は少年を大人に変えると言いますが、中年をガキに戻す力もあるようです。
マスはカキ捨て、旅の恥は掻き捨てと申しますが、ピート・ローズ
ビックリの、4000回もコイていれば、「塵も積もれば山となる」で、
おいそれと捨てられるものではありません。
通算本塁打(4月14日の日記を参照のこと)がタフィー・ローズの一年分よりも少ないのは自宅暮らしが長かったからと言い訳してみたい年頃です。

いつからか、素晴らしい経験をした時に、「今死んだら最高に幸せだろうな」とのたまう癖がついてしまいました。
心の底から好きになった最初で最後の女性と、ホニャララして、
ホニャな時に、幸せボケしたアタマで呟いたのが最初でした。
これは、相手に対して自分の幸福感を表現したくて出た言葉です。
それからは、大曲の花火を珍しく晴れ渡る夜空の下で見た時と、
ニセコスキー場のゴンドラ頂上から眼下を見た時、タイでホニャララな時、
宮島の鳥居を見た時なんかに呟きました。
積極的な死への意思ではないですが、その場に隕石でも落ちてきて、
アクシデンタルに死ぬのであれば甘んじて受けよう、と言う、
「お前何様?」な心境でした。
「生きていてもこれより上の幸せはないから死んじゃってもええヤン?」
ということなのでしょうが、ホニャの女性と別れてからはやっぱりあの時
死んどくべきじゃった、なんて思ったものです。
実際、あの時以上の幸福感に包まれたことはないですが、それ以降の
「死んでもいい」も、それぞれに得がたい、素敵な体験じゃないのかな、と
今の僕は思います。

管理人さんもKさんも、騙されたと思って、あと5年くらいイケメンぶって生きてみて下さい。
それ以上生きると、人間関係のしがらみでお土産代だけで
5,000円かかるので、死にたくなるかもしれませんが(笑)。

ちなみに件の彼女はリアルに鬱病でサークルも学校も辞め、僕とも別れ、
今は消息不明です。暗いオチでごめんなさい。
でも、2番目に泣きたいのは僕です。